『感染症の研究需要』は先進国で乏しく、『新型コロナの症例数』が限られた日本からの論文が少ないのは必然

  朝日新聞が「コロナ論文が G7 で最も少ない」と報じ、研究費の少なさを問題視しています。

  しかし、これは問題の本質を正確に捉えているとは言えません。なぜなら、日本から発表された『新型コロナに関する論文』が少ない理由は以下が影響しているからです。

  • 感染症は『日陰の学問』で日本では「論文の和訳」がメイン
  • 新型コロナの症例数が少なかった日本
  • 日本は『高齢者向けの社会保障』が国家予算の大部分を占める

  潤沢な研究費を注ぎ込むことは「年金・医療・介護など高齢者向けの社会保障を削減する」か「勤労世代にさらなる重税を課す」かが不可避であり、朝日新聞は猛反発することでしょう。

  根本的な問題や費用対効果を無視して国家予算を浪費する主張を展開することは無責任と言わざるを得ません。


衛生状態の良い先進国で感染症は『日陰の学問』

  まず、日本だけでなく先進国で感染症は『日陰の学問』です。

  上下水道の整備など都市部の衛生状態が向上すると感染症の患者数が減るため、感染症研究の価値は相対的に低下します。これは “感染症以外の疾病” への対応の優先度が上がることが理由です。

  患者数を基準にすると、日本で年間に1000万人の患者を出す季節性インフルエンザの研究に資金が投じられるべきでしょう。

  しかし、大部分の人々にとって季節性インフルエンザは脅威ではありません。 だから、日本だけでなく世界でもインフルエンザなどの『風邪』に多額の研究費が投じられることはなく、 感染症研究は「日陰の学問」になっているのです。


「症例数が少ない」と「論文の基となる調査が困難」

  『新型コロナに関する論文』を執筆するのは「『新型コロナの症例』を収集すること」が必要不可欠です。ところが、日本では『新型コロナの新規陽性者数』が少ないという不運に見舞われました。

  『公表されたデータ』や『陽性反応者』を収集・分析して論文にする難易度がイギリスやアメリカよりも高かったのです。

  しかも、日本にいる “感染症の専門家” はイギリスやアメリカなどで発表された論文を和訳することがメインとなっており、データ分析力が著しく不足していることが2020年夏の時点で露呈していました。

  論文執筆能力のない研究者に「論文の数」や「論文の質」を要求しても効果は現れません。「数」は稼げたとしても「他の研究者に引用されるような有益で質の高い論文」は期待できないでしょう。

  したがって、日本から新型コロナに関する論文が少ないのは必然の結果と言わざるを得ないのです。


感染症研究費の増額を要求するのなら、医療費など高齢者向けの社会保障費を削る必要がある

  「研究費が少ない」との主張は “何らかの分野” から毎年聞こえてくる風物詩となっています。

  しかし、研究費の増額が行われることは稀です。理由は国家予算が費やされる優先度は『教育や科学技術研究費』よりも『高齢者向けの社会保障費』の方が優先されているからです。

  国の社会保障は年金・医療・介護に代表される高齢者向けの社会保障が中心です。

  しかも勤労世代が生み出した富に租税する歳入だけで賄えないため、将来世代の名義で赤字国債を発行して不足分を用立てる有様です。これが “国の借金” が増え続けている最大の要因です。

  “先進国で需要のない感染症” への研究費を追加で投じるなら、費用対効果が問われることは避けられません。なぜなら、「40兆円超の診療報酬から感染症の研究費に振り替えれば良い」との指摘が出ると考えられるからです。



  紙面を記事で埋めなければならない新聞記者は「論文を書けば内容はそれほど重要視されない」とでも考えているのでしょう。しかし、学術論文では引用数などで『論文の質』が推し測られてしまうのです。

  「日本で報告された感染者数を正しく分析できない時点で “日本の専門家” は低レベル」と判断されても止むを得ないことです。

  論文の数で評価しても意味はありませんし、社会保障費に偏重した予算編成を問題視しなければキレイゴトに過ぎないでしょう。