『ゼロコロナ』に取り組んでいたニュージーランドが陥落、『ウィズコロナ』に方針転換

 新型コロナ対策の目標として一部の人々が求めていた『ゼロコロナ』ですが、その方針を採用していたニュージーランドが方針を転換することを表明したと AFP 通信が報じています。

 これは「『ゼロコロナ』は選択肢になり得ない」と認めたに等しいことです。日本で未だに『ゼロコロナ』を求めることは論外ですし、過去に『ゼロコロナの実現』を要求した人は過去の言動を反省すべきでしょう。

 

AFP 通信が報じた内容

 AFP 通信が伝えた内容は以下のものです。

 『ゼロコロナ戦略』を採用していたニュージランドでは最大都市オークランドで今年8月に市中感染でのクラスターが発生し、ロックダウンが行われました。

 しかし、7週間に渡るロックダウンでも感染者数は減少せず、白旗を上げることを強いられました。この現実を直視しなければならないことは明らかと言えるでしょう。

 

『ゼロコロナ』は家畜のように「感染が疑われる対象は全数殺処分」としない限り不可能

 そもそも『ゼロコロナ』は対象を家畜と同じように扱わなければ実現不可能です。

 鳥インフルエンザや豚コレラでは「発症が確認された農場とその周辺では全頭殺処分」が行われます。“感染する恐れのある個体” を強制的に排除することで感染拡大のルートを根絶やしにしているのです。

 しかし、この手法を人間社会に適用することは不可能です。なぜなら『人権』が存在するからです。

 一部の医療関係者が「エボラ出血熱は(新型コロナよりも)怖くない」と言っているのは「エボラ出血熱の患者が出た地域は『人権』を制限する形で移動を完全に制御できること」が背景にあります。

 要するに、「当該地域に住んでいる人々全員を見捨てる」というコンセンサス(≒合意)が形成されているのです。これは致死率が高い疾病だからできることであり、感染者の8割が医療による介入がなくても回復する新型コロナでは理解されることはないでしょう。

 『ゼロコロナ』はスタートの段階で方向を間違えているのです。

 

「疾病のかかりやすさ」と「罹患時の重篤になりやすさ」は個人差が大きい

 日本を含むほとんどの国で「疾病への感受性は一様である」と仮定した疫学モデルを採用し、新型コロナ対応を行いました。しかし、「その理論は間違いである」との現実が突きつけられたのです。方針転換が重要であることは言うまでもありません。

 感染の被害は『【疾病へのかかりやすさ】x【罹患時の重篤状況】』で測る必要がありますし、これは個人差が100倍以上も開きがあります。

 例えば、陽性反応者は若者や子供たちに多いことは統計でも示されている事実です。ただ、彼らはほとんど重症化しません。彼らは感染者数の数値を引き上げることはあっても病床を占有しないのです。

 したがって、全国民を対象にした『一律の対策や介入』をすることは1年半前の昨春ならまだしも、今秋に採ろうとすることは問題視さべるべきと言えるでしょう。

 

 『間違った政策』は速やかに修正されなければなりませんが、方針転換をすれば『間違った政策』を提唱した人物や実行した人物の責任が免罪となる訳ではないのです。無責任さを助長する仕組みも是正する必要があるのではないでしょうか。